ヨガを始めたのは,子どもが幼稚園の頃だったから,35年以上前の話になる。子どもを二人産んだら身体はがたがたになるらしく、寝転んで両足を真上に上げられないくらいだったなぁ。先生に呆れられたと思う。幼稚園の母仲間も全員そんな感じだったので先生も困ったと思う。週一度のヨガは身体に良かったのだろうと今になって思う。身体の使い方のヒントが満載だから今元気なのは有り難く思っている。全然運動に触れなかった同世代の人は,あちこち身体が壊れてきているようだ。
しかし、それもなかなか長く続けるのは難しい。会館の変更があったり、仕事し始めたり、転勤なったりとみんなの生活がバラバラになってくる。ちょっと身体の調子がいいと,人間って怠けるものらしく。お休みが続いて結局やめてしまうと言うことになる。
ヨガの指導者になるためのレッスンも受けたが、根性がないせいかダメだった。そうこうするうちに、仕事をしたり、転勤になったりでマレーシアのフィットネスクラブでヨガを選択したりしたが、言葉がわからない。帰国後、近所のフィクラブでクラブでヨガをしようとしたら、長い間(14年間)正座をすることがなかったので、座れなくなっていた。それで、ヨガマットに座れなくなって、仕方なく「椅子ヨガ」なるものを月1程度やっている。
そこで誘われたのが、「きんこんかんエクササイズ」太極拳・気功取り入れた取り入れた運動らしい。きんにく、こん?・体幹かな?。見学に行ったら、身体にやさしく気持にやさしいヨガのような手当てする体操だった。高齢者にはぴったりかも。35年前に始めた同じ会館でやっていて原点に戻ってきた。昔、地域の会館はお葬式に使うことが多く、良く休みになったが、現代はお葬式専用の場所がたくさんできて使用がなくなるということはないのだそうだ。
まぁ、月一から始めてみようか。
ウィキペディアより
ヨーガ(梵: योग ( 聞く), yoga)は、古代インド発祥の伝統的な宗教的行法であり、瞑想を主とする。現代においては身体的エクササイズも含まれる。元来は、心身、感覚器官を鍛錬によって制御し、精神を統一し、心の働きを止滅させ(不動心)、古代インドの人生究極の目標である輪廻からの「解脱(モークシャ)」に至ろうとするものである。ヨガとも表記される。
漢訳は相合、成、摂、成就、精勤修行など、音訳は瑜伽(ゆが)。仏教とヒンドゥー教の修行法の源流であり、インドでは宗教・宗派の違いを超え、インドの諸宗教と深く結びつき、バラモン教、ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教等の修行法として行われ、多様な展開を見た。ヨーガは、インド的・仏教的な伝統において、悟りに至るための精神集中や心の統一を伴う行法自体と、その世界をトータルに表す言葉である。静的な瞑想であるヨーガの流れとは別に、密教ではタントラ的ヨーガが行われた。仏教がヨーガを重視することでヒンドゥー教のヨーガとの融合が進み、10-13世紀には、活動的・身体的変容論を含む、タントラ的で動的なヨーガであるハタ・ヨーガがある程度完成をみている。また、智慧のヨーガ、神への信愛のヨーガ、行為のヨーガといった宗教実践の道の意味でも用いられる。
1990年代後半から世界的に流行している、身体的ポーズ(アーサナ)を中心にしたフィットネスのような「現代のヨーガ」は、宗教色を排した身体的なエクササイズとして行われているが、宗教的実践である「本来のヨーガ」とは別の潮流である。
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